【7】テニス人生を振り返る。Part 3

どうも、shu-nomadです。

テニス人生を振り返るPart 3、さて今回は「高校時代編」です!

 

遡ること10年くらい前だろうか…

高校受験に大失敗し、とある私立高校へ入学。

そこはとてつもなくテニスが強い学校でした。

そんなこととは知らずに、どうせ受かるっしょと

県立高校を受験。そして失敗。この高校へ。

 

これが悪夢の始まりだとは知らずに…

 

高校入学後は、絶対にテニス部に入る!!と思って体験入部に参加。

しょっぱなから、外周10周を走ることに。1周3分くらいだったかな。

もうこれでバテバテ…さすが強豪校…と。

この後も筋トレをし、もう身体はヘトヘト…でも

この練習を積み重ねれば、いつか僕も全国大会のステージに!!

 

と、夢を見ていました。初日はテニス部のみんなと仲良くなり

連絡先を交換し、一緒に帰りました。(ちなみにバス通学禁止なのでチャリで)

 

次の日から筋肉痛がすごくて、坂を登れない…辛い…

まぁこれは全然耐えれました。強くなるためだし、必要なこと。

でも、僕が耐えられなかったのは…いじめでした。

 

始まりは先輩の大会の応援でした。

うちの学校は人数も多かったため、応援も盛大にやっていました。

3列に並んで応援をするスタイルで、前から3年生、1年生、2年生の順に並び、

1年生1人が、●●1本目〜!!と叫ぶと、みんなで1本目〜!!と叫ぶのです。

間違えた、応援するのです。

 

しかし、僕の声はあまり通るものではなく、全体に響かないのと、

途中で声量切れになってしまうことが多くありました。

その時、後ろにいる2年生から暴力をよく食らっていました。

もっと声だせよ!!と、思いっきり背中を殴られました。

いやいや、背中殴ったら声なんか出せないだろ!と思いながら

すいません、と謝り、また自分の番が来ると、先輩から殴られます。

 

こんなことが続き、ある練習中、ボレーの練習がありました。

10球中7球コートに返すことができたら、先輩たちと一緒に

練習に混じっていいと言われました。

ある一部を除いた1年生全員がコートに入り、ボレーをします。

正直、小学校からテニスをしていたので、これは簡単でした。

終わってみると、自分以外全員コートにボールを入れることができず、

僕だけがクリアしてしまいました。

 

そして、僕が先輩たちと混じり練習していると、

後ろで先輩たちが、「あいつ生意気じゃね?」と話しているのが聞こえました。

意味がわからなかった。そっちから提案してきたくせに何様だよって。

 

ここら辺からだんだんとやめたい欲が強まり、また大会の応援がありました。

この大会に勝てば、全国大会出場!という大事な大会でしたが

勝つとまた応援しなければならないので、先輩たちには申し訳ないですが

負けてくれ。と一生懸命祈っていました。

しかしその甲斐もなく、勝ってしまい、全国大会出場が決まりました。

 

大会後、同期の部員に、「お前、この応援のまま全国行ったら殺されるよ」

と言われました。冗談じゃない、なんで殺されなきゃならないんだ。

もううんざりだ、今日もたくさん殴られたし、殴ったところで声なんか出ないし。

 

全国大会が決まり、ちょうど中間試験が始まりました。

友達と勉強をするため、友達の家に2ケツで向かっていたところ

3年生の先輩に見つかってしまいました。

うちの部活では、何か問題を起こすと坊主になるため、

これはいいチャンスだ!と思い、このタイミングで辞めることにしました。

 

本当の理由は「いじめにあっている」でしたが

顧問には「坊主になりたくないので」という理由を話しました。

しかし、退部を止めてくれました。そこで本当の理由を話しました。

 

話したところで解決には至りませんでしたが、

朝学校へ向かおうとすると足が震えたり、部活に行くだけで涙が出たり、

こんなことは耐えられなかった。

好きなテニスを一時期大嫌いになりました。

無理してやる必要はないと判断し、部活を去りました。たった1ヶ月です。

 

いじめにあっている中で、助けてくれる先輩もいました。

「お前は頑張ってる。わかってるよ」と優しく声をかけてくれました。

殴ってくる奴らは、レギュラーでもなければ、候補でもない奴らでしたが、

助けてくれた人は、レギュラー候補でした。

強い人は優しいんだな、と高校生ながらそう感じました。

 

一ヶ月で部活を辞めましたが、テニスは続けたかったので

スクールに通うことになります。

今日はここまで。

 

では。